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1967年

・旭市・鎌数に生まれる(長男)

生まれて間もなく隣の家から火事が延焼し、自宅は全焼。​

1970年

・旭幼稚園

父・計次郎は旭市役所職員、母・若子は農協職員。

母の実家(新田区)に預けられていたため、幼稚園は旭に。

1973年

・旭市立中央小学校

両親の仕事の都合もあり、そのまま旭市内の中央小へ。

1979年

・旭市立第ニ中学校

このころからの夢はパイロットになることでした。

生徒会では熱心に活動していたと思います。

1982年

・千葉県立匝瑳高等学校理数科

部活は音楽部(合唱中心)でしたが、3年次は男子部員一人の時も。

​文化祭で独唱した時ピアノを弾いていた1年生と結婚することになるとは…

1985年

・浪人/新聞奨学生

1986年

・中央大学 法学部法律学科

防衛大学を受験、学科は受かるも身体検査で不合格。

規定視力に足りませんでした。夢破れ、人生初の大きな挫折感でした。

​新たな夢を探すために、東京・早稲田の新聞屋に下宿しながら勉強。

​そこでの様々な人との出会いは、とても刺激的なものでした。

1989年

法律・政治の分野に進もうと志し、中大法学部へ。

合唱団に所属し、代表もつとめました。

​学外でのボランティア活動として障がい者の「出会いの場」に参加。

​「障がい者が当たり前に、恋をし、結婚し、幸せな家庭を作る」ことを目指したこの団体(百万人の広場・今は解散)に共鳴。法律・政治が何のためにあるのか、深く考えるきっかけになりました。

・学習塾/フリースクール設立

25歳で結婚。しばらくは、相模原のアパートに暮らしていましたが、

子どもを持ち、育てるならば、地元・旭市に帰ろう!と決意。

自宅で塾を開き、子ども達を教えはじめて今に至ります。

養護学校での学習サポートをしていたことがきっかけで、自分で私塾を開くことを決意。

仲間と共に初めての塾を作りました。

​行政ともパイプを作り、昼間は不登校児童(生徒)のサポートも実施。

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